去る10月10日に3回目の開催となったシンポジウム「メディア・アートとは何か?」に参加した。
実はその2週間前に第2回が開催されていたのだけれども、そのことを全く知らなかった私はみすみす参加する機会を逃してしまっていて非常に残念だった。

第3回は第1回と同じ福武ラーニングシアター。第1回では溢れるほどいた聴衆はどこかへ行ってしまったらしく、会場は空席が目立った。

これまでのシンポジウムを通して浮かび上がってきたキーワードは「重層性」—或いは「重奏性」と言ってもいいかもしれない—ということになるのかなと思う。今回は話者によって「メディウムの重層性」であったり、「経験の重層性」であったり、また「出来事の重層性」であったりと、重層性をもつ対象が異なっていたけれども、そこには何らかの共通点があるように思う。
私はどの専門家でもないので、これらに共通する「重層性」という概念について津梁を得るには思考と知識が足りないので、これ以上の説明はできないのが残念である。

また以下に記述するシンポジウムの内容もこのブログを書いている時点で咀嚼できていない部分はノートにはメモしているものの、まとめることができていないので、書かれていない部分もあるし、或いはミスリードをしている部分があるかもしれない。
個人的にはそれらについては今後のシンポジウム、それ以外の時間に、このテーマについて考え、勉強することで補完できればいいと思っているが、なにぶんこのような場に書いているので指摘できる方は遠慮なく指摘して頂きたい。

さて、「Beyond Pages」である。
このシンポジウムのキーパーソンとなっている藤幡氏の「Beyoud Pages」がどういった装置なのかは、何故か映像がyoutubeにあったのでリンクを張っておく。参考になれば。

まず立命館大学の北野氏は、現代はもはや「Ars Electoronica」の「作品」に見られる「ツールなのかアートなのか(例えば「デュシャンの泉」のような)、そのボーダーを壊す行為」それ自体が批判的なものではなくなってしまっていてミディウムの領域横断性(重層性)を問題対象化することがメディア・アートにも必要なのではないかと言う問題提起を行った。

メディア・アートはその特性上、鑑賞者の参加を意識的にさせる側面があるように思える。いわゆる「インタラクティビティ(interactivity)」が、メディア・アートに対してよく用いられるのはそういうことだと思うのだけれども、では“inter-activity”のactionをする人、「行為主」は一体誰なのか。

「Beyond Pages」のリンク先の映像を見るとわかるように「ページをめくる動作をする人」と「ページがめくられる動作、或いはその他の動作」はただ連動しているだけ、つまり行為主の意思と動作が分離されている。

この、本のようでいて本ではないものを指して石田英敬氏はマグリットの「これはパイプではない。«Ceci n’est pas une pipe»」をもじって「これは本ではない。«Ceci n’est pas un libre.»」と表現していたけれども、同時に「私たちは携帯電話で友だちに電話しているのではない」という身近な例でもその意味、そこに潜む重層性を示した。

また京都大学の吉岡洋氏はメディアにとってのクリティークと言う観点から、私たちにとってのメディア経験とは何なのかを論じた。

多くのメディア論はこれまで、人間身体が本来持っている能力の拡張という視点から「メディア」を考えてきたように思われます。つまり「メディア」とは、人間の感覚や思考の能力を拡大・増幅することによって、自然的世界をより高度に支配・制御するような補綴的装置として理解されてきたと言うこともできるでしょう。(吉岡洋氏)

氏が話した内容はここにも下書きとして書かれているので、参照されたい。

出来事としてはこんな感じかと思う。
こういった趣向のシンポジウムなので、自分で考えなければならない部分が多い。
そのために出来事を追っていくと意外にそれほどのボリュームではないように思えてしまう。

余談だけれども、吉岡氏が発言した「顔や声はメディア体験」というフレーズはとても印象に残った。

投稿者 arumumu | 09/10/2009

2009年9月の入荷本

旅をするなら、極論予定なんてないほうがいい、と思う。
予期できないことが日常生活よりも、より多く起こるから楽しいのであって、ツアー観光はそういう楽しさがないのが一番参加したくない理由。ふとある場所にじっとしていたくなったときにはそうできる旅のほうがいい。

今更な話だけれども、 そういう予期できないことに日常的に遭遇するのに読書は非常に適していると思う(ただし、自ら読む本の枠を超えて行く限りにおいて)。そういう点でAmazonの「おすすめ商品」は、あまりおもしろくないなと、最近富みに感じる。その辺が、Amazonがすすめる商品が予想以上に斜め上だったり、ふと入った雑貨屋でたまたまステキなものを見つけるような感覚を擬似的に体験できれば、たぶん、もっと楽しい。

#1.
Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness
Richard H. Thaler, Cass R. Sunstein

#2.
Knowledge and Its Limits
Timothy Williamson

#3.
文字講座
文字講座編集委員会

#4.
Between Saying and Doing: Towards an Analytic Pragmatism
Robert B. Brandom

#5.
グッド・ルッキング—イメージング新世紀へ
バーバラ・M. スタフォード, et al

#6.
ヴィジュアル・アナロジー—つなぐ技術としての人間意識
バーバラ・M. スタフォード

#7.
TOKYO FIBER ’09 SENSEWARE
原研哉+日本デザインセンター原デザイン研究所(企画・構成), OKYO FIBER実行委員会(編)

投稿者 arumumu | 25/09/2009

TOKYO FIBER ’09 SENSEWARE

私は何かのにおいを嗅ぐのが好きだけれども、同じくらい何かに触ってみるのも好きだ。

”TOKYO FIBER ’09—SENSEWARE”の展覧会に展示してある作品はどれもつい手を伸ばして触ってみたくなる、そんな衝動を抑えるのが大変な、そんな作品ばかりだった(実際には触れてよいのはサンプル素材のみ)。

会場の大きさもそれほどではなく、作品の数も全く多いわけではないけれども、そこには原研哉氏の言うSENSEWAREが確かにあると感じた。

SENSEWAREという言葉をこう定義して用いている。すなわち、人間の創造本能を鼓舞し、もの作りの意欲を呼び起こす物質。たとえば、石器時代における石。石器を実際に手に持ってみると、そのずっしりとした重さや硬質な手触りに、感覚の奥底に何かが波立つのを覚える。(TOKYO FIBER ’09—SENSEWARE, p.2)

実際にはそういった感覚を呼び起こすものがこの展覧会にしかないわけではない。しかしながら私たちはそういったものの存在に対して、相当に無自覚になっているのではないかということに気がつくきっかけになるのに十分すぎる力をこの展覧会は持っていると思う。

一つだけ気になったのは、「笑うクルマ」のこと。

ドライバーの人格の拡張形であるクルマには当然表情があってもいい。クラクションを鳴らすのはネガティブなコミュニケーションであるが、もし「笑い」が表現できたらクルマとクルマ、人とクルマはもっと楽しい気持ちを交感できる。(TOKYO FIBER ’09—SENSEWARE, p.76)

とのこと。
浅はかな考えかもしれないけれども、せっかくそうであるのなら、コミュニケーションが発生する可能性が高い走行中にもそれができるようにフロントだけではなくリアの部分にもそのような機能が備わった作品であればもっとおもしろかったかなーと。

会期も今月の27日まで、この週末を残すのみとなっているので、ぜひ。

余談。
この展覧会と同じ名前を冠する書籍「TOKYO FIBER ’09—SENSEWARE」のメインコンテンツは、今回展示されていた繊維素材の紹介なのだけれども、その間を縫うように盛り込まれている論述や対談の内容は非常に興味深い。また、同じ内容が英語でも書かれており、多少のニュアンスの違いはあれど、比べて読んでみるのもおもしろい。

投稿者 arumumu | 07/09/2009

2009年8月の入荷本

毎月買う本の量はさほど多くないけれども、塵も積もれば何てやらで、引っ越したタイミングで本棚を買わなかったまま3年も過ごしていると、平積みになった本も邪魔になってくるということで、ようやく本棚を買う気になった。

理想の本棚のイメージはあるのだけれども、パッと探した感じだと一般的でもないよう。

実は私はIKEAに行ったことがないのだけれども、今回はIKEAで買ってみようと思う。
当然安いということもあるのだけれども、自宅の事情というか、エレベーターが極端に狭いのと、キッチンから部屋に至る部分の天井が極端に低いために、既製品をそのまま家に入れることが物理的に困難という理由が大きい。
そういう意味でコンパクトな状態で家に持ち込むことができて、且つ引っ越しするときにばらせるのはありがたい。

それで、投函されていたIKEAのカタログを見ていてふと思ったのだけれども、日本のインテリアのカタログに本棚の姿ってほとんどないような気がする。 何となくそんな気がするだけなので、調べてみる必要はありそうだけれども、IKEAのカタログのように子供の部屋とリビングにいくつかの本棚の姿が見られる。同じような光景は日本のインテリアのカタログに見られるのだろうか。

余談だけれども、PCの姿もそこには見当たらない。

#1.
Inside the White Cube: The Ideology of the Gallery Space
//Brian O’Doherty

#2.
Create Your Own Economy: The Path to Prosperity in a Disordered World
//Tyler Cowen

#3.
観察者の系譜—視覚空間の変容とモダニティ(以文叢書)
//ジョナサン・クレーリー, et al

#4.
消費社会の神話と構造 普及版
//ジャン ボードリヤール, et al

#5.
磯崎新の革命遊戯
//田中 純, 磯崎 新

#6.
複製技術時代の芸術(晶文社クラシックス)
//ヴァルター ベンヤミン, 佐々木 基一

なぜか宣伝まがいなことをしていたので一応触れておくと、”Presentation Zen”の日本語版[プレゼンテーションzen]が既に発売されている。英語版の方を持っているので今回は購入を見送ったけれども、店頭でその存在を確認したときに原著をそのまま日本語化したわけではなく、日本の読者に向けて内容が若干ローカライズされているように思った。
ただし、プレゼンテーションは飽くまで伝えたいことを伝えるための一つの方法であって目的ではないことを忘れてはいけない。

投稿者 arumumu | 04/08/2009

2009年7月の入荷本

一月に一回の入荷本シリーズですら月末に書けない始末。
断片化した思考を断片化した状態でネットに書くことで、ブログにまとめようとしなくなってしまっているのは、ブロガーでTwitterユーザの多くが感じているかもしれない。
とはいいながら何となくどちらも活発に利用している方々を見ているとやり方がわかってきたような気がするので、今月こそ。
といいながら、恒例の入荷本シリーズ。

#1.
DESIGNING DESIGN
Kenya Hara

#2.
Institutions and the Path to the Modern Economy : Lessons from Medieval trade
Avener Greif

#3.
The Third Man Factor: True Stories of Survival in Extreme Environments
John Geiger

#4.
芸術展示の現象学
太田 ,三木 順子

#5.
サイバーペット/ウェブ生命情報論
西垣 通

#6.
Typographic Systems—美しい文字レイアウト、8つのシステム
Kimberly Elam, 今井 ゆう子

#7.
不完全な現実— デジタル・メディアの経験
藤幡 正樹

#8.
技術と時間1
ベルナール・スティグレール

いつのまにかずいぶん前の話になってしまったけれども、原研哉氏の「デザインのデザイン」の英語版、というよりもむしろ原著である英語版を本屋で見つけたので、つい買ってしまった。英語で何かを表現する方法に乏しい私にとって、一人の人が書いた事務的ではないことを2つの言語で読むことができるのはとても嬉しい。
何かを伝えるというのはそういうことだと思うし、そういう観点が、少なくとも私の学生時代の英語教育とその勉強態度には欠落していたような気がする。

スティグレール氏の訳本は新評論から出るものだとばかり思っていたのだけれども、つい先日訳本の出版と同時に著書を手に入れる機会があり、迷わず購入した。
書かれている日本語が「象徴の貧困」に比べてずいぶん難しいように感じるのは、そもそも原著がそうなのかそれとも訳者の違いなのか。
まだ全部読んでいないのでその判断はできない。 ただ、何にせよスティグレール氏の訳本が今後も出版される予定であることがわかって嬉しい。
もっとも私は1年おきに出版されるのが待ちきれないので学生時代にかじったフランス語の勉強を再び開始し、原著を読んでみようとは思っているけれども。

8月は芸術関連の書籍のが多くなりそうな予感。

投稿者 arumumu | 21/07/2009

2009年6月の入荷本

そういえば下書きにしたまま公開するのを忘れていたので大急ぎで公開。
と言ってももう7月も末なのですぐ7月の入荷本のエントリーを書く時期なんだけれども。

ところでTwitterでウンベルト・エーコの「開かれた作品」がおもしろいとつぶやいたところ、海外から反応があった。同じようにブログも見られているのであれば、定期的な入荷本シリーズも英語で書いたほうがいいのかもしれない。ただ、訳本を読んだ場合、引用するにしても内容を一度英訳しなければならない。それができるかどうか。

あと、7月の発売を予定していた[Presentation Zen]の日本語版は出版社の都合で9月に延期されたことを著者ご本人から確認。少し残念です。

#1.
欧文書体—その背景と使い方
//小林 章(著)

#2.
超人類へ!バイオサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会
//ラメズ・ナム(著)

#3.
基礎情報学—生命から社会へ
//西垣 通(著)

#4.
開かれた作品
//ウンベルト・エーコ(著)

#5.
The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature
//Steven Pinker(著)

#6.
Republic.com 2.0
//CR Sunstein(著)

私は学生時代に言語学を学んできたのだけれども、そのときに読んでいたらとても楽しかっただろうなと思うのが[The Stuff of Thought]。
感想を書こうと思ったけれども、こんなところにとてもよい書評があったので、リンク(手抜き)w

2008-09-25 書評 「The Stuff of Thought」shorbird 進化心理学中心の書評など

まだ全部読んでないけど…。

投稿者 arumumu | 15/06/2009

Presentation Zen Live at home

Garr Reynolds氏の著書、”Presentation Zen”の日本語版が7月に出版予定だということを以前のブログエントリーに書いた。
原著を読んでいない人にはお勧めだし、もちろんそんなたくさんの英語は読んでられないという人にもおすすめ。
しかしながら、多くの日本人は「とても忙しくて」本を読む暇もない(ゲームをしたりマンガを読む時間は比較的あるようだけれども)。
そこで、そんな忙しい人でもプレゼンテーションの勉強ができるいい方法がある。
それが”Presentation Zen DVD”。
これを使えば”Presentation Zen”のコンセプトをVideoで学べる。もはやたくさんの忌々しい文字を読まなくてもいいし、通勤時間帯を有効に利用することもできる。
しかもこれは”Presentation Zen”日本語版よりも先に発売され、ちゃんと日本語字幕もついているらしい。
このビデオを自分の好きなフォーマットに変換すればiPodのようなポータブルプレーヤーでどこでも勉強をすることができる。
もちろん、自宅でDVDを見るだけでも十分。
Garr氏の表情や、ジェスチャー、話し方など、書籍からでは得られない内容も氏のプレゼンテーションになじみのない人にとっては新鮮なものかもしれない。
そして著書の内容をまさに体現している氏のプレゼンテーションを見れることは一石二鳥ではないだろうか。
コンバートするときには字幕を付けるのを忘れずにw
まわし者みたいになっているけれども、まったく氏の利害とは無関係です、念のため。

English Readers: please scroll down to the bottom =)
But this article is focused on Japanese people.

Garr Reynolds氏の著書、”Presentation Zen”の日本語版が7月に出版予定だということを以前のブログエントリーに書いた。原著を読んでいない人にはもちろんおすすめだし、だって原著は英語でしょ?という人にもおすすめ。しかしながら、多くの日本人は「とても忙しくて」本を読む暇もない(一方でゲームをしたりマンガを読む時間は比較的あるようだけれども)。

そこで、そんな忙しい人でもプレゼンテーションの勉強ができるいい方法がある。
それが”Presentation Zen”のDVD。6月末に発売。これがあれば”Presentation Zen”のコンセプトをビデオで学べる。もはやたくさんの忌々しい文字を読まなくてもいい。また、実際のプレゼンテーションと違って、巻き戻すことも一時停止することも繰り返し見ることもできる。これは同じ本を2度読むよりもはるかに楽だと思う。その上これは書籍の”Presentation Zen”日本語版よりも先に発売され、ちゃんと日本語字幕もついているらしい。

おそらく、原著を手にしたことがない人の多くは氏のプレゼンテーションを実際に見たことがないだろう。それゆえGarr氏の表情や、ジェスチャー、話し方など、書籍からでは得られない内容も含めた氏のプレゼンテーションはとても新鮮かもしれない。その上著書の内容を自ら実践している氏のプレゼンテーションを見れることはたとえわずか50分間だったとしても一石二鳥ではないだろうか。
2つ目のリンク、氏のブログから少しだけビデオが見られます。

まわし者みたいになっているけれども、氏の利害とはまったく無関係です、念のため。

Presentation Zen: The Video (DVD)
Presentation Zen (the DVD) ―Presentation Zen

Garr-san has referred to his book “Presentation Zen” in Japanese will be on sale in July, and I recommended it on my previous entry to those who haven’t read it yet and/or cannot understand English well.But I know most of Japanese people are too busy to read only a book per a month, they seem to have enough time to play games and read ‘Manga’ though…

Now I have a nice solution for such people that “Pressentation Zen” will become a DVD very soon and you don’t need to read “annoying” texts any longer.
Additionally unlike a presentation, you can replay or stop or repeat it whenever you want. Then learning presentation with the video seems to be easier than read his book twice. Moreover this DVD release is sooner than “Presentation Zen” book in Japanese and it has Japanese subtitles.

Most of the people who have never read his book may never have watched his presentation lively. Therefore his expression, gestures, the way of talking, and that cannot learn from the “papers” are very fresh and impressive.
That’s way I strongly recommend this DVD as one of ways to learn presentation although the video is only a 50minutes long.
you can watch this video a little bit on his blog, second link.

By the way, I’m not a person concerned with him, it’s just an idea!

Presentation Zen: The Video (DVD)
Presentation Zen (the DVD) ―Presentation Zen

投稿者 arumumu | 31/05/2009

2009年5の入荷本

Twitterで1日につぶやく数は増えてきたけれども、エントリーを書く頻度は相変わらず。
6月いっぱいはたぶんこのまま。長い休暇が欲しいなー。
ということで恒例の書籍紹介。

#1.
The Soulful Science  What Economists Really Do and Why It Matters
//D Coyle(著)

#2.
Predictably Irrational: The Hidden Forces That Shape Our Decisions
//Dan Ariely(著)

#3.
たった1%の賃下げが99%を幸せにする
//城 繁幸(著)

#4.
Logo
//Michael Evamy(著)

#5.
続 基礎情報学―「生命的組織」のために
//西垣 通(著)

#6.
なぜ世界は不況に陥ったのか 集中講義・金融危機と経済学
// 池尾 和人, 池田 信夫(著)

—-

今回読んだ本の中で最も印象的だったのは、「続 基礎情報学」だった。
あるキーワードから著書にたどり着いたためか、続編のほうから読んでしまったけれども、特に読む際に問題になることはなかった。

書かれている文章の意味内容の解釈は読者特有のものである。同じ文章を異なる人間が読むとき、さまざまな解釈が生まれてくるのは、それぞれの体験や知識が異なるからである。読書という行為は、再帰的に自分の記憶を書き換えていくことであり、われわれは、「自らの解釈にもとづいて新たに自らを解釈する」という、いわゆる解釈学的循環から逃れることはできない。 このことを基礎情報学的に述べると、著者から読者にあてて情報を小包のように伝達することは不可能だ、ということになる。(p.24)

続 基礎情報学 -西垣 通

基礎情報学的な観点がどうであれ、 言語的な情報を「伝える」対象となっている人が必ずしも自分と同じ、あるいは誤差の範囲内の解釈ですらしているとは限らないことを私たちは経験から知っているはずだ。
しかしながらそのことを往々にして忘れる。そしてそのままメールのような非同期的コミュニケーションを頻繁に繰り返すことで齟齬が拡大していく。
残念なことだけれども小包ではなく「メール」であっても、情報は本人が意図したとおりに届くと、意識的にしろ無意識的にしろ考えている人は多いのではないだろうか。
そのことに本来意識的になるべきなのは情報などという代物を扱って仕事をしている人なんだと思っているけれども現実はそうではなさそうである。

話を初めて聞いたときにTwitterにつぶやいて満足してしまったのか、その時に書いたメモをレビューすることもなく、いつの間にか1ヶ月も経ってしまっていた。

Garr Reynolds氏(@presentationzen)著、”Presentation Zen”の日本語版が7月に出版予定だそうだ。
これは4月の初めにApple Store Ginzaで開催された氏のイベントの時にも言及されていたけれども、氏のposterousのエントリーをみていると順調なのかも。
ちなみにまだAmazonでは予約は開始されていない。

Working on Japanese version of PZ

私は仕事の中で俗に言う「プレゼンテーション」に参加することがほとんどないので、今現在どんなプレゼンテーションが行われる傾向にあるのかがわからないのだけれども、”Presentation Zen”に書かれている内容を理解し、実際にやってみること自体は決して難しいことではない。
しかしながら私が見える範囲だけを見て考えても、著書に書かれている内容をいきなりプレゼンのスライドに持ち込むことは難しく、激しい抵抗を受けるだろうと考えざるを得ない状況にいまだあると思う。
どうすれば効果的に聴衆に咀嚼しやすい情報を出すことができるのかということを考えている人にとって著書はよいきっかけになるのではないだろうか。
原著を読んでいない方はぜひ。というメモでしたw

投稿者 arumumu | 29/04/2009

2009年4月の入荷本

仕事が忙しいのは嬉しいことだけれども、その忙しさを理由にしてそれ以外のことを考えなくなってしまうのはよくないと思う。往々にして陥ってしまいがちだけれども。
ということで毎月恒例の書籍紹介。紹介と言うかほとんど列挙してるだけだけどw

#1.
デザインのデザイン
//原 研哉 (著)

#2.
The Ten Faces of Innovation: IDEO’s Strategies for Defeating the Devil’s Advocate and Driving Creativity Throughout Your Organization
//Thomas Kelley (著), Jonathan Littman (著)

#3.
Work Hard, Be Nice: How Two Inspired Teachers Created the Most Promising Schools in America
//Jay Mathews (著)

#4.
The Elements Of Typographic Style: Version 3.1
//Robert Bringhurst (著)

#5.
Remix: Making Art and Commerce Thrive in the Hybrid Economy
//Lawrence Lessig (著)

ちょうど「全裸」や「地デジカ」の著作権発言云々にもあったけれども、テレビメディアを含めたマスメディアの凋落が顕著になって久しい。15年以上前に

一般にマスメディアは、いまだに社会ないし世界を媒介する「窓」を僭称している。しかしそのメディア、とりわけテレビはすでにその機能を果たさず、もっぱらそれを観る者自身を映し出す「鏡になっている」 (p.4)

窓あるいは鏡 -水島 久光, 西 兼志

と著したドミニク・メールの著書を引用した「窓あるいは鏡」は先月購入した書籍だけれども、昨今のテレビメディアの現状を研究した書籍として興味深い。 残念ながら著者と生きてきた時代が少し違う上に、もはやテレビをほとんど見なくなってしまった私には、テレビ番組を実践的な例として説明している点に関してはいささか置き去りにされたような感覚だったけれども、社会の閉塞定期状況―これも言い古されてはいるものの―とテレビとのつながりを本書に見ることができる。そのことはスティグレールの「象徴と貧困」 を引用していることからもわかる。

ところで、スティグレールの著書を読むためにはいつまで延期され続ける訳本を待たなければならないのだろうか。 フランス語をかじったことがあるとはいえ、いきなり哲学の原著に手を出すのはどうなのかとためらっているのだけれども・・・。

今月買った本の中でいちばん興味深かったのは「デザインのデザイン」で、残念ながらAmazon.co.jpでは洋書のほうを新品で扱っていなかったので、和書版のほうを買ったのだけれども、もし内容がまったく変わらないのであればぜひ洋書のほうを手に入れたい。

現代人は知識が豊富なのだろうか。実際のところ、おびただしい情報に接して僕らは日々生活を送っている。 メディアの発達やその旺盛な取材活動によって、世界のあらゆる営みは芝刈り機によって刈られる芝のように表層を刈り取られ、「情報の断片」となってメディア空間の中を千々に飛散している。僕らの脳は好むと好まざるとにかかわらずそれらとの間断ない接触を余儀なくされている。その結果として、細切れの知識がおびただしく脳に付着する。それらが知のインデックスとして、さらなる興味を呼び覚ますきっかけとして機能するならば、断片知識の増大も結構かもしれない。しかしながら、少し冷静に観察してみると、僕らは情報に触れたという事実を互いに言い交わすのみで、そこから先に話題をふくらませていくことをしなくなってきている。(中略)元来、知識とは思考の「入り口」にすぎない。些細な知識を発端として、言葉を交わしあうことで互いの思考を運動させ合うのが会話であり、断片でしかない知識を対話や思索で練り合わせることで僕らは未知のイマジネーションに手をのばすことができるのである。(pp. 372-373)

デザインのデザイン -原研哉

少し長い引用となったけれども、この部分は強烈に頭に残っている。 できればこのような表現を英語ではどのように表現しているのかを知りたい。ということで洋書がほしい。そもそも、もともとは洋書だったようだ。
エンジニアをやっていると、どうしても開発元、およびそれに物理的にも言語的にも近いの欧米のほうがより速く「情報の断片」を手に入れらる可能性は高い。それはTwitterをしているとよくわかる。自分で作った製品で仕事をしているわけではない以上これは避けがたい。
それでもそういう情報を持つ欧米の人たちに対して、自分を情報の発信源としたいのであれば、上述のような「断片でしかない知識を対話や思索で練り合わせること」はとても重要なことではないかと、常日頃考えている。

原氏は本書で、高野孟著「世界地図の読み方」を引き合いにだして、日本の地理的な位置について言及している。彼が太平洋を背に、右に90°回転させて、日本を最下部に持ってきた世界地図に目からウロコが落ちる思いをしたのと同様に、私も一旦発信されたモノが、最終的に日本にたどりつくような、そうであるがゆえの立ち位置、立ち方があるのではないかと思う。
別に日本を神聖化するつもりはないし、for the sake of argumentでも構わない。

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